長崎くんち 八坂神社さじき運営委員会

令和2年~令和4年までは新型コロナウイルス感染症拡大予防の観点から長崎くんちは中止となっています。

令和5年度奉納

8日(日)雨天順延 朝(後日/あとび)十月九日(月)八坂神社奉納

丸山町

寛永19年頃に各所にあった遊女町を集めて出来た町。
明治以前は寄合町と共に毎年奉納。
明治以降、昭和40年まで隔年で奉納していたが、その後辞退が続いた。
平成18年に41年ぶりに踊町に復帰した。
【傘鉾】
飾:朱塗の台に金色丸額を配し丸山町の町名を記す。
【奉納踊】
「本踊」(ほんおどり)
平成25年(2013) 「勢獅子祭祝諏訪社頭(きおいじしまつりをいわうすわのおやしろ)」

本石灰町

石灰を扱う所が集まった町。石灰は、土と混ぜて建築や防水に使われたり、油の精製に使われる。
はじめは石灰町と称されたが、油屋町を挟んで今石灰町、新石灰町が出来たので本石灰町となった。
諏訪三社の一柱である住吉神は、この町の尾崎にあった。
【傘鉾】
飾:昭和59年までは「紅葉と火焔太鼓に町名を記す」、平成4年に「藍塗り八角の台座の上にアニオーさんの宝箱」、平成11年から「大小の瓢箪一対を台上に載せ、正面に御朱印状、後面に交易の金札を配す」となる。
輪:ビロードに町名を金刺繍文字(大浦澄泉書)
垂:赤染め塩瀬羽二重にアニオー行列を刺繍で再現。
房は組紐平緒に玉を鏤(ちりば)め四本で東西南北を表す。(原田擴増氏寄贈)
【奉納踊】
御朱印船(ごしゅいんせん)
長崎を出船した御朱印船が遠くベトナム、マカオ方面にまで出かけた故事に因んで、御朱印船を出している。

桶屋町

桶職人が多く居住して発展した町。
この町は昔の町界のままである。
【傘鉾】
飾:朱塗りの台上に白象と金色の宮殿を配し、象の両脇に時計を彫刻し、宮殿内にブロンズ製紅毛人打鐘の像を置く。
(安永元年(1772)3月作。
この傘鉾は鍛冶屋町の傘鉾とともにからくり仕掛けである)
垂:繻子地に下部に花籠模様を織出し上部に三社紋刺繍。(昔は長崎刺繍で十二支の動物が刺繍されていた)
【奉納踊】
「本 踊」(ほんおどり)
平成25年度「長唄 錦輝弥栄宇舞社(にしきてるいやさかえませまいのにわ)」

船大工町

船の修理場などがあったところから船大工が多く住んでいたのでこの町名となった。
寛永の頃は新船大工町と称していたが、正保の頃に船大工町と改められる。
【傘鉾】
飾:檜板葺き屋根型の上に上棟式具(この町の傘鉾には輪がない)
垂:蝦夷錦 金襴織り出し牡丹唐草地紋に五爪の龍の模様
【奉納踊】
「川 船」(かわふね) (飾)紅葉に白菊

栄町

昭和38年に袋町(全部)と本紺屋町(一部)と酒屋町(一部)が合併して出来た町。
【傘鉾】
飾:四季模様を大和絵で書いた貝2組に紅葉を配す。
輪:ビロード
垂:塩瀬羽二重金糸にて三社紋。
【奉納踊】
阿蘭陀万歳(おらんだまんざい)
奉納踊りには、長崎の芸能としてはふさわしい阿蘭陀万才を出している。

万屋町

はじめの頃は鍛冶屋町と称し、その後、本鍛冶屋町となるが、いつの頃からか俗名を萬屋町と呼ばれていた。
そこで、延宝6年(1678)願い出て町の名を萬屋町と改めたといわれている。
【傘鉾】
飾:平樽二組重ね鰹節七五三連(しめつらね)
輪:ビロードに町名を金糸にて刺繍(與廬圖也滿智)
垂:長崎刺繍の魚尽し(長崎市指定有形文化財)
【奉納踊】
「鯨の潮吹き」(くじらのしおふき)安永7年(1778)より奉納

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長崎くんちの奉納踊は
国の重要無形民俗文化財指定

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